裏切りですよ

2月はあっと言う間に終わって、3月ももう半ばにさしかかっている。

 

私はまたあの女に騙された。

同じものが好きだと思っていた。同じものを好きでいてくれると思って、信じていた。何も疑わず話を聞いてもらって楽しかった。でもお前は、本当は私の好きなものとはまったく逆のものを好んでいたんだな。心の底ではくだらないと私の事を馬鹿にしていたんだろうか。

何度目だ?何度も何度も信じて裏切られた。同じものが好きでいられて楽しいと思えるのは最初だけだ。いつも途中で何かがおかしいと気付いて、すぐに証拠を見つけてしまう。お前はバカだからツメが甘い。どうせなら徹底しろ。気付かせるなよ、バカ。

あろうことか私が話したすべてのことを、逆のものに当てはめて、自分のものみたいに。許せない。そんなことに使わせるために話したんじゃない。騙されているのなら、最初からおまえのためになるようなことなんてしなかった。

お前はいつも嘘をつく。私のせいなんだろうか。あの頃、お前が好きなものをあんなにもこき下ろしたからそれがすべての元凶なのだろうか。それで私は今こんな目にあっているのか。

そうだろうな。嘘をつくお前の事を、許すしかないんだよな。元はと言えばすべて私が悪いから。騙されていたけど、許すよ。

 

でももうそれも終わりだ。あと2週間で私はお前がいなかったあの頃の、本当になんのストレスもなかったあの頃に戻れる。私は自由になる。お前のことなどもう思い出さない。

お前のことは本当に頭が悪いと思っているよ。私にはお前より劣っているところなんて1つもない。だから、私がお前に傷付けられる必要なんてないな。私はすべて分かってるよ。もういいよ。バカなお前を気分よくさせてやることくらい簡単だ。

私とお前は絶対に分かり合えない。根本的に思考が違う。最後の最後にそれが分かって良かった。もう信じない。

父と合わない

父と気が合わない。

実際には気が合わないというより、私が勝手に彼の感覚や言動を受け入れられないだけなので、向こうが私をどう思っているかは分からない。

 

長風呂が好きで、自分で湯を張って一番に入った。湯につかってから10分後に父が来て、「寝てるのか?」と言った。寝てません。考え事をしていた。その10分後、今度は母が来て私の名前を呼んだ。寝てないよと返して、適当なタイミングで湯から上がって髪と体を洗った。洗っている間ずっと、ゆっくり湯にもつかることも出来ないのかこの家はと思っていた。私が風呂から出た音を聞きつけて母がやってきて「髪を乾かす前に一旦脱衣所から出て」と言った。母の声音で察したのは、父が私が風呂から出るのを待っていて、おそらく不機嫌でいるということ。心底嫌になった。それなら初めから「待ってるから早く出て」と言ってくれればよかった。寝てるの?と聞かれたから寝てねーよとしか思わなかった。協調性が無い私が悪いのか。そうかもしれない。この点に関しては私が悪いか。そうか。

今日は23時ごろ、先にお風呂に入るねと両親の前で言った。早く出ろよ、お前は明日休みでも俺は明日仕事があるんだからと言われた。苛立ちを隠していない声だった。気分が悪かった。じゃあシャワーで出るよと言ったら、はあ?と言われた。分かっている。自分の代わりに湯を張れという意味だったんだろう。

私が一番にゆっくりお湯につかりたくて自分で風呂の準備をしても、早く出ろとせっつかれるのに、じゃあお湯は張りませんからすぐ出ますねと言うと、それでも自分のために湯を張れと言われるのだ。理不尽だと思った。でも私は、シャワーを浴びたあと、湯を張った。自分はつからないのに。そうすることが小さな反抗の様な気がした。私が髪を乾かしているとき、母がやってきてお湯を入れようとして、私がすでに入れていたことに気付いて驚いてた。母の事も好きではないけれど、かわいそうだとも思った。父と私たち子どもの間でいつも板挟みにされている。私も彼女の様な母親になるのだろうかといつも思う。なりたくないけれど、なるのだと思う。

 

とにかく、父はそういう人間だ。

嫌いではないが、苦手だ。彼の考え方は好きではない。でも、父親だ。私をここまで育ててくれた恩がある。逆らえないし、逆らうつもりもあまりない。

誰も知らない

ツイッターで簡単に脳内のすべてを吐露出来る時代になって、私は毎日、自分の日常を他の誰かに見せ続けている。別に誰かに見てほしいわけでも、ましてや反応が欲しいわけでもないのに。

趣味用のアカウントでも知り合い用のアカウントでも、必ずそこにはフォロワーが居て、「少なくとも何度かやりとりをしたことのある誰かが自分の発言を見ている」という意識が消えることは無い。

その状況に少し疲れたのかも知れない。

 

誰も私を知らない場所で、誰の目も気にせず、好きに発言してみたくなった。

このブログは、誰に向けたわけでもない、誰かに届いてほしいわけでもない、ただの日記である。